u12

☆覚醒:(目覚めること。迷いからさめること。)

2006-11-08
FC solceuでは“自分の夢を自分で叶えられる人間”になってほしいと思っています。
そのために、自分のことは自分でする方針で始まり、ブレイントレーニングという心理学・脳内生理学というアプローチをして、サッカーを通して、そのような人間に導いていこうと頑張っています。

僕自身はサッカーを通して学んだことは“努力”と“意地”だったように思います。
小学校4年生からサッカーを始めてからずっと「下手くそ」とコーチに怒られ、中学校3年生の時に4人しか3年生がいないのに補欠になって、自分に限界を感じて退部した時に友だちから「脱落者」と言われ悔しい思いをして、でも、3年後の高校3年生の時にはサッカー推薦で大学に合格してと、努力と意地で自分を高めてきたという経験をしました。

しかし、僕が覚醒されたのはサッカーではありませんでした。
変な話をしますが、馬鹿にしないで読んでください。

僕が小学校6年生の頃にスーパーカー・ブームがありました。
毎日スーパーカーの写真を見ては感動し、その美しさとカッコ良さのトリコになっていました。
ある日、友だちが京都市内にスーパーカーが置いてある自動車屋があるので観に行くという情報を得ました。
僕は頼み込んで一緒に連れて行ってもらいました。
こんな感じでどんな好きなことにも、そのころの僕には自分から動くという発想はありませんでした。

月日が経ち、19才の大学1年生の時、BOφWYが京都に来るという情報を得ました。
BOφWYが2枚目のアルバムを出した頃です。
このときのBOφWYはマニアックなファンしか知らないバンドでした。この2~3年後には超有名カリスマ・バンドになりますが・・。

情報を得たのは、小学生のときにスーパーカーを一緒に観に行ったときと同じ友だちです。また、一緒に行く約束をしました。
BOφWYは、僕にとって小学校の時のスーパーカーと同じくらいトリコになっていました。
自転車通学ではBOφWYの歌を口ずさみ、家でもずっと聴いていて、ノートに歌詞を書いているという状態でした。当時の言葉で言うと「BOφWY命」でした。
友だちは先に京都市内で買い物をして、僕は大学のサッカー部の練習が済んでから合流するという約束でした。
友だちから電話がありました。「朝から市内にいたから疲れた。今日はやめとくわ。」
いつもなら僕も一緒にライブを行くことを諦めていたと思います。
生まれて初めて「一人でも俺は行くねん。」と電車に乗り込みました。

遅い遅い自立だったのかも知れません。でもこれが僕の覚醒の第一歩でした。
(大学生活では一人暮らしをしていましたが、それは自立では無かったと思います。別にさびしい気持ちも無かったし、貧乏にも普通に耐えることができました。何でもないことですが、この一歩が自分にとって大きな一歩だったと思います。)
ライブもコンサートも行ったことがない。映画の盆と正月に友だちについて行っただけ・・。とにかく会場に行こう、まずはそれが大事。
いかにもBOφWYに行くってファッションだった人に「すいません、タクタクってどこですか?」ってたずねました。親切に連れて行ってもらい、ライブ会場に入りました。

BOφWYはカセットテープの中の存在で、姿も友だちにコピーしてもらった歌詞カードでしか知らず、見た目もモノクロの世界でした。
ライブが始まりました!僕は最前列で、本物を目の前にして感動し、踊り狂いました。
ライブが終わり、帰ろうとすると、行きに道をたずねた人が「残っとき。」と言いました。「何っ?」って聞くと、「逢えるから。」と答えが返ってきました。

しばらくするとメンバー全員が2階に楽屋から降りてきて氷室さんと松井さんは別の店へ行き、布袋さんとマコトさんがライブ会場のテーブルで打ち上げをはじめました。
すごいことになってきたと感動しながら布袋さんとマコトさんと5人くらいのファンと一緒に参加させてもらいました。
それから関西にBOφWYが来るたびに、同じメンバーで打ち上げをするようになっていました。布袋さんから「今日のライブどうだった?」などと聞かれると有頂天で「最高でした!!!」と盛り上がっていました。

マコトさんに「東京に行きたい。」と言うと、「俺んち泊まれ。」ということで、3泊くらいさせてもらい、バイクで2人乗りで東京見物にも行ってもらいました。
大学でサッカーも必死で頑張っていましたし生きがいでしたが、僕にとってのBOφWYは夢と現実を結ぶ架け橋になっていました。

ある日BOφWY解散の知らせ・・・
そしてメンバーが別々の行動をとり、お世話になったマコトさんがデラックスというバンドで京都に来ました。
その時僕は23才、最後列でライブを観ました。
とても楽しいライブでした。バンドもファンも大盛り上がりでした。
そのとき僕に2回目の覚醒がありました。
『バンドもファンもどっちも面白いなら・・バンドをやろう!』
その会場からギターが得意な友だちに電話して、「俺ヴォーカルするし、ギターしてくれ。残りのメンバーはAとBやな!」
23才からバンド始める人はあんまりいないと思いますが、それからは、仕事、サッカーのコーチ、バンドと忙しい日々を過ごすことになりました。

バンドを作ったころには全ての段取りを僕がしていました。練習場所・会計・ライブ会場探し・・・。やる気まんまん人間になっていました。

“気づき”の瞬間です。僕たちの初めてのライブ会場に打合せに行ったとき、公共の会場なので申請用紙を出すように指示されました。
そして、団体名のところに僕たちのバンド名を書くように指示されました。
そのとき自分で考えた名前をこんな正式な用紙に記入するなんてと思いました。
この瞬間が自分のアイデアが公式に受け入れられた瞬間でした。大げさですが、夢と現実が一致した瞬間だったのです。

この頃から自分の中に『やらないとできないは違う』というキャッチフレーズができ、現在に至っています。まだまだ大きなことはしていませんが、自分に可能性を感じたり、大きな夢を持っています。
また、出会いを大切にしようという前向きな気持ちもあります。
今は出会った人たちとFC solceuを“育成日本一のクラブ”にしたいと思っています。
その夢が叶うように日々頑張ります。

FC solceuの子どもたちで、すでに“自分の夢を自分で叶えられる人間”がいます。そうでない子どもたちには、いつか覚醒してもらって“自分の夢を自分で叶えられる人間”になってほしいと思います。

FC solceuサッカーが、“覚醒”のきっかけになってくれたらと思う今日この頃です。